総表現社会にならない

hyoshiokさんの日記
40代、50代の人たちはなぜ表現しないのか
http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20090517

わたしはあなたのブログを読みたいのである。だけどこの声が届かないもどかしさを感じるのである。どうすればいいのだろうか。

という下りで終わっていたのでたまには僕も書いてみようと思う。
ちなみに僕は20代後半に属する。

まず理由「なぜ」を適当に挙げてみる
なぜ書くか

  • 自分を表現したい
  • 主張したい何かがある
  • 誰かに推奨されている
  • 流行ってるし

なぜ書かないか

  • 利益がない、もしくは見えない
  • 面倒である
  • 時間がもったいない
  • そもそも知らない

私の身近で40代、50代と言うと、会社の上司・先輩である。ただし、60代前半まで含めれば私の親の世代になるので、親やその周りの人々で考えてみることにする。
彼らにとってPCはどのような存在なのだろうか。まさに私の両親がそうなのだが、ブログや動画サイト云々よりもPCの操作で苦労してしまう人が多いと思う。もちろん、コンピュータが好きだったり、新しい物が好きな人もいるけれど生活の中にPCが溶け込んでいる人は少ない。


まず、彼らが生きてきた/育ってきた環境にPCがなかった事は非常に大きい。彼らにとってPCは黒船のようなもので、ある種の恐れのようなものを意識はしてなくても抱えているような気がしてならない。
そして、PCは便利過ぎる。汎用的過ぎる道具なのだ。例えば、掃除機は掃除以外に使わないし、洗濯機は洗濯以外に使わない、車はどれだけ高性能なものだってアクセル踏めば前に進むし移動する道具であることは変わらない。それらは買う時には使う目的がはっきりしているし、それ以外に用途がない。それに比べてPCはとても汎用的すぎるのだ。文書作成、プログラミング、画像編集、映像編集、etc・・・。説明書を書こうにも網羅などできるはずもなく、PCを毎日使っているような人からすればそれは不可能な事だと解っている。それだけに使わない人にとって「どう使って良いかわからない」道具で、恐れをいだいてしまうのかもしれない。また、仕事の道具として半ば強制的に"使わされている"人も多い。その様な人にとって家でくつろいでいる時に、楽しくない印象の強いPCの電源を入れる人は少なくて当然かもしれない。


育ってきた環境の違いも大きいかもしれない。どのような社会、教育、風潮の中で育ってきたのか。私の想像も入っているが、おそらくは"プロ"でないと表現できない時代だったように考えられる。TVやラジオというものは努力して一流になって初めて表現が可能になる。プロになる気が特にない人々にとっては、情報を受け取る側で楽しむという選択肢しかないことに慣れているのかもしれない。


次に供給の問題を考える。例えば某ニコニコ動画を見てもらえればわかるが、明らかに上の年代向けのコンテンツが少ない。これは利用者に年輩の方が少ない->年輩向けの動画が投稿されない->利用者が増えないという循環が発生している気がする。投稿系サイトだけの問題ではない、企業の作るコンテンツもそうだ。ビジネスにおいては、ターゲットの母数が多い方を選ぶのが普通だろうけど、そろそろ年輩の方々が引きつけられるコンテンツの創出があってもいいのではないかと思う。


このままでは、経験はたくさんあるからぜひ発信して欲しいと思っても、「情報を発信するモチベーション」<「PC覚えるのに費やす時間や苦労」となってしまって永久的に発信されないような気がする。上で書いた以外にも色々な負の要素があるだろう。これを打破するのに必要な事はなんだろうか。
まず、情報発信が簡単になること。まだまだ情報を発信するためのツールであるPCが簡単な道具ではない。だからこそGoogle AndroidApple iPhoneをはじめとする携帯端末には期待している。少なくともデスクトップのごついPCよりはフレンドリーだし、操作も簡単だろう。今度親にも勧めてみたいものである。

私達若い世代にできることは、彼ら上の世代の知識がお墓に埋まる前に、情報発信のハードルを下げることだと思う。電話をかけるのと同じくらい簡単に発信できるようなレベルにまで、だ。そのようなシステムを作る側の人間は、できる限り彼らの立場にたって作り上げなければ成功しないと思う。
早くウチの母親の情報発信を見てみたい。母は園芸に関して相当な知識を持っている、その手入れしている庭園の写真とその手入れ方法をちょろっと書くだけでも相当な価値になるはずだ。

追記:
とりあえずTwitterのようなシンプルなサービスから勧めてみるのはどうだろうか。Twitterであれば余計な機能がないし、文字が打てればいいわけだ。